ふたたび『センスオブワンダー』の話です。
レイチェル・カーソンは
『センスオブワンダー』
の中で、
「地球の美しさと神秘を感じとれる人は、
科学者であろうとなかろうと、
人生に飽きて疲れたり、
孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。
たとえ生活の中で苦しみや心配ごとにであったとしても、
かならずや、内面的な満足感と
生きていることへの新たなよろこびへ通ずる
小道を見つけだすことができると信じます。」
と書いています。
私自身、逗子での自然に恵まれた環境に癒され、
そこでの幼い頃のさまざまな探検の思い出が
勇気や心の伸びやかさを保ってくれるのを感じます。
また日常生活の中でも、
家庭菜園の手入れをしたり、
公園を散歩したり、
大好きなお花を生けたりすることで
精神が活発で健全になるのを感じています。
そして更に彼女はこうも書いています。
「もしも私が、すべての子どもの成長を見守る
善良な妖精に話しかける力を持っていたら、
世界中の子どもに、生涯消えることのない
『センスオブワンダー=神秘さや不思議さに目をみはる感性』
をさずけてほしいとたのむでしょう。
この感性は、
やがて大人になるとやってくる
倦怠と幻滅、
私たちが自然という力の源泉から遠ざかること、
つまらない人工的なものに夢中になること
などに対する、かわらぬ解毒剤となるのです」
ためいきが出るような深い洞察と豊かな精神だと、
思いました。
まさに倦怠と幻滅に囲まれた現代の生活。
その中で
実際に私たちは、
どれだけこの解毒剤に救われていることでしょう。
道端に咲いている花に心癒されたり、
空の青さに勇気づけられたり・・。
うちの子供たちは、
自然が大好きな子どもです。
長男は花を見て
「きれいだね~」
と喜び、
暖かくなると虫を拾ってコレクションします。
これから春に向かい、
よちよち歩きができるようになった次男を
公園でおもいっきり遊ばせてあげたいです。
芝生の感触を味あわせてあげたいです。
できればトトロの森みたいな
大きな木をみせてあげたいです。
私たちが子どもに残すべきものは、
お金でも不動産でもなく、
こうした精神的なものなのだと
強く思いました。
レイチェル・カーソンは
『センスオブワンダー』
の中で、
「地球の美しさと神秘を感じとれる人は、
科学者であろうとなかろうと、
人生に飽きて疲れたり、
孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。
たとえ生活の中で苦しみや心配ごとにであったとしても、
かならずや、内面的な満足感と
生きていることへの新たなよろこびへ通ずる
小道を見つけだすことができると信じます。」
と書いています。
私自身、逗子での自然に恵まれた環境に癒され、
そこでの幼い頃のさまざまな探検の思い出が
勇気や心の伸びやかさを保ってくれるのを感じます。
また日常生活の中でも、
家庭菜園の手入れをしたり、
公園を散歩したり、
大好きなお花を生けたりすることで
精神が活発で健全になるのを感じています。
そして更に彼女はこうも書いています。
「もしも私が、すべての子どもの成長を見守る
善良な妖精に話しかける力を持っていたら、
世界中の子どもに、生涯消えることのない
『センスオブワンダー=神秘さや不思議さに目をみはる感性』
をさずけてほしいとたのむでしょう。
この感性は、
やがて大人になるとやってくる
倦怠と幻滅、
私たちが自然という力の源泉から遠ざかること、
つまらない人工的なものに夢中になること
などに対する、かわらぬ解毒剤となるのです」
ためいきが出るような深い洞察と豊かな精神だと、
思いました。
まさに倦怠と幻滅に囲まれた現代の生活。
その中で
実際に私たちは、
どれだけこの解毒剤に救われていることでしょう。
道端に咲いている花に心癒されたり、
空の青さに勇気づけられたり・・。
うちの子供たちは、
自然が大好きな子どもです。
長男は花を見て
「きれいだね~」
と喜び、
暖かくなると虫を拾ってコレクションします。
これから春に向かい、
よちよち歩きができるようになった次男を
公園でおもいっきり遊ばせてあげたいです。
芝生の感触を味あわせてあげたいです。
できればトトロの森みたいな
大きな木をみせてあげたいです。
私たちが子どもに残すべきものは、
お金でも不動産でもなく、
こうした精神的なものなのだと
強く思いました。
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